第五回研究会の概要
開催日:2020年2月29日
場所:京都大学大学院人間・環境研究科棟233
タイムテーブル:
・10 : 40 ~ 開場
・11 : 00 ~ 12 : 30(午前)
・14 : 15 ~ 開場
14 : 30 ~ 17 : 30(午後)
※コロナウィルスを考慮して、小規模での開催となった。
京都駅の伊勢丹、あるいは、駅としての研究会
――第五回研究会を終えて
かつてあった『広告批評』という雑誌に「立ち話風哲学問答」という連載があった。最近亡くなった加藤典洋、最近まで京都芸術大学の学長をしていた鷲田清一、そして、新京都学派の多田道太郎による鼎談である。あちこちに出向いては、あることないこと話す居酒屋談義のようなもので、ただ三人の仲良さげな雰囲気がひたすらに伝わってくる対話だった。
1999年2月号掲載の回は「京都駅」と題されている。そこで、加藤は鷲田に京都駅の印象を伝える。
京都駅そのものはもう何度も利用しているけれど、上のほうまで歩き回ってみたのは初めてで、すごく面白かったですね。中に入り込んでみないと面白さがわからない、というあたりも、なるほど京都的だったりして。
な、何をうまいこと言っているんだお前は……と言いたい気もしないではないが、頭を空っぽにして加藤の発言に乗るなら、桑原武夫を中心とする「新京都学派」の面々を「言葉と教育」という括りから研究してみるというプロジェクトも、「中に入り込んでみないと面白さがわからない」類のものであり、今回の研究会はそれを実感させるものだった。
*
午後の発表から取り上げよう。まず、髙野「大淵和夫の思想」。いやまて、誰だそれは、誰の思想なんだ……と言いたくなる気持ちはわかる。そもそも大半の人は「大淵和夫」という名前を見たことすらないだろう。発表者の髙野自身も、この研究会への参加を提案されるまで、大淵の存在を知らなかったのだ。
大淵和夫(1927-77)は、京都大学出身で、人文研の共同研究にも参加しており、上山春平や石本新と「記号の会」という研究会を開いていた、記号論や分析哲学における最初期の研究者の一人である。髙野の発表は、大淵和夫を取り上げた全世界初の研究であるとともに、世界的な大淵和夫研究の世界的権威へと髙野自身を押し上げるものだった……もはや、関西は、大淵和夫研究のメッカと言えるだろう……。
髙野が大淵を通して取り出したのは、学問に現実との接点が求められていると同時に、社会そのものが学問を要求しているという視点である。社会が学問を要請するということの背景に、「民主主義」と「教育」への関心を読み取ることができる。実際、大淵は、学校教育を積極的に補完するものとしての「独学」に熱っぽく言及する(この独学観は、加藤秀俊のものと対照的だ)。
こうした大淵の関心と重なるように、鈴木が取り上げた物理学者で社会思想家の武谷三男も、デモクラシーのために多くを語っている。鈴木の「武谷三男の『科学』と『民主』」は、先行研究では、武谷の科学論と社会思想が素朴に区別されてしまっていることを問題視する。その中で炙り出されるのが、(彼自身の言葉ではないが)「専門家と大衆」という古くて新しい問題である。
武谷は、「特権」(=身分という階層性の下に自他を理解する立場)と「人権」(=各職能の対等性の下に自他を理解する立場)を対置し、その上で、科学者という専門家が色々な職能を持つ人たちと協働することの可能性を説く。武谷の可能性をこの点に求めながら、現代の私たち自身に返ってくる問いを、参加者各人に向けた。
午前中の栗村「鶴見和子と1950年代の生活記録運動」の基底にあったのは、絆や思いやりを基調にして空気を読み、忖度して察し合う日本社会にあって、自己主張型の対話はどこにあるのかという問いである。教育現場などで「アサーション(主張)」の重要性がしばしば話題なることを思えば、〈対話の可能性〉を問題にすることのアクチュアリティは直ちに理解される。
しかし、そもそ人びとは、そうした "本格的で真面目な対話" を求めているのだろうかと栗村は直ちに付け足す。提起された問題の傍らには、恐らく人びとが共有する、〈対話の必要性〉への疑問があったのだ。
対話への疑問は、さらに別の疑問の水脈と合流していく。とりわけ長く話題をさらったのは、「他者批判とつながりの両立は可能か、そもそも必要か」という問いだった。
この疑問は、既存の生活記録運動研究にある「よい市民たれ」という規範が、学習を伴わない言語化を棄却しがちであるという事実への違和感に由来している。一見「反省のしんどさ」をめぐる過去の議論と類似しているが、ここで焦点が当てられているのは、反省のコストがマイノリティに押し付けられかねないという側面が問題視されたことである。
これらの議論に私なりの補助線を引くなら、対話や会話がなされるサークルを、主として「居場所」「解放」「連帯」のどれによって特徴づけるかというものだろう。
自己主張的でなく雑談をベースにしたコミュニティは「居場所」と呼べるだろうし、他者の学習=反省を促すべく批判し合う啓蒙的な関係性は「解放」によって特徴づけうる。
それに対して、栗村と鈴木の議論を重ね合わせることで見えてくるのは、それぞれの能力に応じて協力し合う結びつき、つまり、「連帯」の魅力である。少し飛躍してよいなら、武谷は、「人権」による連帯が、新しい可能性を社会に実現させようとする「探求の共同体」に他ならないと暗示していたのではないか。
だとすると、私たちが大淵和夫から読み取るべきは、「学問の現実性」を回復した暁に、当の学知が持ちうる機能や効果とは何かということなのかもしれない。これを詳論はしないが、ここでは、大淵が、連帯のための論理を「学習者」の側に置いたということを指摘しておきたい。それに対して、武谷は、連帯のロジックを「学者」の側に置いていた。
*
『広告批評』の連載で、多田道太郎は、京都駅に接してできた伊勢丹が直面した二つの苦労に言及した。曰く、京都駅の伊勢丹は、オープン当時は一流ブランドを入れられなかったのだが、「若手デザイナーばかりを起用して売り出したら」、注目を集めて成功を収めた。さらに、「これまではデパートというのもは、ターミナルで、終点でないとダメだというのが常識だった」のだが、それを覆し、「あえて途中下車駅でいいんだ、という考え方を持ち込んだ」。多田によると、京都駅の伊勢丹は二重の困難のいずれも、軽々と克服し、成功を収めた。
この研究会で扱った人物たちは、特に上の世代に非常に名前が知れているし、ファンも多い。しかし、新京都学派は、思想的遺産としてまともに扱われることなく、単なるスターや遺物としてのみ扱われているように思われるし、鶴見俊輔などを例外として、事実上、新京都学派の大半は、忘れられつつある(その証拠に、彼らの本の大半が絶版だ)。
この研究会が「成功」するかはわからないが、多田の語る伊勢丹のように、「若手」ばかり集まっていることは確かだ。発表者は、誰も新京都学派の面々と会った経験がない。扱う人物の名前すら聞いたことなかったのに、口説かれるがままに発表者として名を連ねた人もいる。色々な専門分野を出身とする若手たちが、各人の専門研究を進める傍ら、駅としての研究会で下車する。私たちが、今後どんな成果を提示できるのか、今後も注目してほしい。
2020/3/21
谷川嘉浩
第四回研究会の概要
開催日:2019年8月4日(日)
参加人数:午前午後とも15名程度
場所:京都大学大学院人間・環境研究科棟233
タイムテーブル:
・10 : 40 ~ 開場
・11 : 00 ~ 12 : 30(午前)
・14 : 15 ~ 開場
・14 : 30 ~ 17 : 30(午後)
発表者:
須永哲思 京都外国語大学非常勤講師
髙野保男 大阪市立大学大学院文学研究科 博士後期課程 参考
谷川嘉浩 京都大学大学院人間・環境研究科博士後期課程 京都市立芸術大学非常勤講師ほか
第四回研究会を終えて
新京都学派の鶴見が『隣人記』という本の中で、京都という街を「電車の中でふと知り合いに会う可能性がある」「云々の人が同じ町にいると想像しやすい」などの観点から特徴づけている。つまり、互いを心の端で意識し合い、励まし合うことのできる関係性を生み出しやすい土地柄であるということだ。当然ながら、それは地域的な結合の感覚をもたらすだけでなく、内輪的な閉じられたコミュニケーションを誘発しやすいということでもある。
今回は告知がうまくいかなかったこともあってか、午前午後、それぞれ15名程度の参加者だった。発表者は京都に根差した人たちに限られるわけではないが、京都という土地で発表を重ね、京都に縁ある人物たちを扱ってきたこともあってか、私たちの結合は深まり、参加者との個人的な関係すらできつつあるように感じる。
ただし、それは、コミュニティとしての成熟を示すものであると同時に、内輪になる危険性があるということを意味している。――というより、コミュニティの成熟と閉鎖性は同じ現象の裏表なのかもしれない。
*
午前では、谷川が「『オレはコーヒーを飲むためなら、世界が破滅したってかまわない』:鶴見俊輔の多元主義における「好み」に基づく共同性の構想」という発表を行った。準備不足もあって、ある程度整理された複数の素材を提供しながら、その場で「ここで鶴見は何を言おうとしているのか」と共同で考えるような雰囲気でもあった。第一回研究会以来、共同で言語化することの可能性を感じた発表でもあった(それを準備不足の言い訳にしてはならないにせよ)。
午後では、須永哲思が「検定不合格教科書と久野収:『反価値』と『抵抗』から考える倫理教科書の試み」という発表を、髙野保男が「ソクラテスのように生き、死ぬということ:『検定不合格倫理・社会』を読んでの雑感」という発表を執り行った。
久野収は、いわゆる新京都学派には直接属さないにせよ、京都学派との緊張感ある影響関係を持ちながら、京都という土地に根差して、言論/教育活動を行った人物である。いずれも、彼が主導し、力を注いだ高校倫理の教科書作成をベースにした研究である。(なお、幾度かの折衝にもかかわらず検定に落ちたため、教科書ではなく、倫理・社会科目の副読本として出版された。)
*
これら三つの発表を貫いて、いくつかの共通するモチーフが存在していた。その一つは、大衆が民主主義社会において「市民」であること――ソクラテスのように自己吟味する人間であること――を建前としては要求されながらも、現実的にはどこまで可能なのだろうか、という問題である。これまでの研究会では、「反省のしんどさ」と呼ばれてきた問題系である。自分自身の「好み」を掘り下げる試みであれ、自分自身の理想的/反理想的アイコンを探求することであれ、自分自身の考えを進めながらも、それを冷静にモニタリングするという認知的に負荷の高い作業が要求されてしまう。私たちは、その問題とどう付き合うことができるのだろうか。
今一つは、新京都学派(とその周辺)が展開する議論の系譜をどう描くかという論点だ。どのようなコンテクスト、どのような影響関係に注目するかによって、その議論の見え方は一挙に変わる。谷川の発表は、ドストエフスキーや埴谷雄高のようなニヒリズムの系譜に位置づけるべきなのか、「私探しゲーム」的な消費社会論の文脈の特異点とみなすべきなのか、はたまたプラグマティズムの変種と捉えるべきなのか、カントの『判断力批判』とその政治哲学への応用の歴史に掉さすべきなのか――この決定は容易になしうるものではない。
須永の発表も、同時代の倫理教科書の系譜に乗せるべきなのか、歴史教科書を含むような「社会」というより広い教科書の文脈を採用すべきなのか、三木清や清水幾太郎といった久野収と直接の影響関係にあり、いずれもプラグマティズムやマックス・シェーラーと深く対話した思想の流れを意識するべきなのかといった問いを感じさせるものでもあった。ヌスバウムの人文学論と『検定不合格 倫理・社会』の接続を試みた髙野の発表も同様である。
*
上の話題を別の仕方で言えば、私たちが、つまり、この研究会が「歴史」と向き合う姿勢が問われているということだ。彼らをどの伝統に位置づけるのかということが、その大半が鬼籍に入った新京都学派の思想家たちをどのような「歴史」として描き、その遺産を相続するかという課題につながっている。そしてそれは、《新京都学派という歴史》から何を学ぶかということでもある。
これまでの研究発表の背後には、新京都学派の民主主義的ヴィジョンが存在していた。異なる他者とどう折り合い、共生していくことができるのか。何でも知っていて自律的で理性的に判断できるという「強い市民」の神話をどうするべきなのか。私たちはどのように結びつき、共同体を作ることができるのか。私たちは他者に何を伝えることができ、教育には何ができるのか。それぞれの分野の専門家がなしうることは何なのか。こうした問いに、快刀乱麻を断つような答えが出せたわけではない。少し前進しながらも、やはり口ごもりのある会話が続いているような感覚がする。
うまく言えない感覚と向き合いながら、それでも、何らかの答えを出すために、この研究会はもう少し続いていく。次回は2020年初頭。引き続きお楽しみに。
2019/8/8
谷川嘉浩
第三回研究会の概要
開催日:2019年1月26日(土)
場所:京都大学大学院人間・環境研究科棟233
参加人数:午前22人、午後20人
タイムテーブル:
・9 : 40 ~ 開場
・10 : 00 ~ 13 : 00(午前)
・14 : 15 ~ 開場
・14 : 30 ~ 17 : 30(午後)
発表者:
(午前)
谷川嘉浩 京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程
髙野保男 大阪市立大学大学院文学研究科 博士後期課程
(午後)
真鍋公希 京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程
高田正哉 上田女子短期大学 講師
第三回研究会を終えて
1月26日、京都には雪が降っており、底冷えする教室の中、研究会は始まりました。初雪でした(たぶん)。研究会当日、雪の話から始めたのは、私が桑原武夫のことに言及したかったからです。
桑原は、人文科学研究所の所長を務め、新京都学派の面々が出席した数々の共同研究で座長を務めていました。彼のエッセイによると、雪の降る寒さで息を白くしながら、デューイやアランを読んだそうです。軍国主義吹き荒れる日本で一人ストーブを前に書物をめくった桑原は、しばらくのち、京都大学でストーブを囲みながら教員や学生たちと雑談を欠かさない教員となりました。
この研究会は、桑原が試みたような共同研究を意識して運営されています。そして、共同研究のために、私たちは、少なくとも私は、ストーブを囲むような雑談こそ必要なのだと考えています。
*
これまで同様、ディスカッション・質疑応答では、無数の話題が出ました。しかし、今回の研究会は、午前午後を貫くモチーフもあります。それは、言語化の周囲に存在する「なにかしっくりこない」という感覚でした。
谷川嘉浩「鶴見俊輔の他愛ない夢」では、「紋切型」批判から議論が始められ、それへの対処として、理想を収集すること、それも、多数の理想を収集すること(理想の多数性)が提案されました。
その上で、自己に為しうるのは、理想と、理想に届かない現実とを有機的に関わり合わせておくことでした(想像力)。無数の理想に取り囲まれた、理想に届かない自己が、足りないながらに当座の言葉を紡いでいく、というのがそこから引き出される実践のあり方です。
真鍋公希「作田啓一の『社会学的想像力』」では、「体系化」と「生の経験」がどのように相補うのかを示す議論が展開されました。作田をドライブするのは、社会学がすべてを語り尽くすことはできないという感覚だという指摘がありました。その汲みつくせなさへの傾向を、「外部」への志向性だと言っても構わないでしょう。
作田は、「社会学的説明」と同居するように、その説明ではしっくりこないこない側面――「謎」を見つけていく。彼の「社会学的想像力」は、語り尽くせないことへ、社会学の外へ向かおうとする動きなのだと思います。
高田正哉「作田啓一とその子どもたち」では、作田の教え子・井上俊が取り上げられました。そこでは、私たちは「物語」によって自己を理解し、他者を理解しているのだが、実のところ、そうした理解には、常に、物語による説明の「ほころび」や「すきま」が伴っていて、そうした語り尽くせなさ(=すきま)は、人を遠ざけもするのだが、同時に、「この人のことをもっと知りたい」と私たちに会話を続けさせる「希望」でもあると論じられました。
以上のような議論は、言語化とそれに伴う「しっくりこなさ」を、広い意味での「想像力」の問題として論じたのだとまとめることもできるでしょう。そう整理したときに興味深いのは、髙野保男「『言葉を選び取る責任』について」です。というのも、語り尽くせないという感覚をめぐる議論に「責任」という論点、「倫理」という視点を挿入するものだからです。そこでは、ふと選び口にした言葉に抱いてしまう「それとは別のふさわしい言葉があるかもしれない」という感覚を手がかりに、メディア化された言葉と対峙するといった大衆社会的な論点が扱われました。
*
実のところ、谷川・真鍋の草稿を一度検討してもらう機会がありました。検討後に原稿が多少変更されたことを考慮したとしても、その場でこうした共通性が話題にならず、また、発表者にも気づかれなかったことは注目に値します。一度、気づかれなかったにもかかわらず、この研究会を通じて、新京都学派たちの相違を織り込みながら、発表内容が反復しているモチーフがおぼろげに見えたことは、この研究会が「探求の共同体」として機能し始めていることを明かすものだったと、私は感じました。当然ながら、互いに打ち合わせなく用意した原稿であり、こうした共通点が明らかになったのは私にとって新鮮な驚きでした。
上のような整理は、私個人が描いた星座にすぎません。言語化が前提しているような「反省(reflection)」の問題、むしろ、以前より話題になっていた「反省のしんどさ」の問題は繰り返し話題になりましたし、ポピュリズムや反知性主義、健全な学習(独学)と悪しき学習(独学)という論点も改めて取り上げられました。そして何より、おぼろげに見えた理解のすきまを縫うように、なぜ「言語」なのか、なぜ「書く」なのか、素朴で真摯な問いがメンバーの須永から挙がったことは印象的でした。
付言すべきことがあるとすれば、当日、私が述べたように、研究会での会話を通じて私たちがしているのは、「何か言いたいけど、言えそうもない、うまく言えない、それでも何か言いたい」という、しっくりこない言語化を共同でおこなう作業だということです。私たちの会話は、共同翻訳は、まだまだ続きます。
2019/1/27
谷川嘉浩
第二回研究会の概要
開催日:2018年8月4日
場所:京都大学人間・環境学研究科棟333演習室
参加人数:午前23人ほど 午後18人ほど
タイムテーブル:
・9 : 40 ~ 開場
・10 : 00 ~ 12 : 30(午前)
・13 : 40 ~ 開場
・14 : 00 ~ 16 : 00(午後)
発表概要:
午前の発表の趣旨
批評誌『夜航』は、2018年度5月に刊行されたvol.3において、「1930年代」を特集した。研究科の後輩である中村が『夜航』の編集に携わっていること、第一回の新京都学派研究会に彼が参加してくれ、その特集で京都学派(旧)を取り上げたことを教えてくれたことに端を発する。
京都学派と新京都学派に、(後者が前者を体系的に再解釈したというような)強い直接の連関があるわけではない。しかし、京都あるいは関西という磁場の中で、取り扱いづらい実感や情念のようなものを言語化していく姿勢を持つ者が確かにいた。
午前の部を企画した動機は、そのことをシリアスに捉え、新旧の枠を超えてテーマに沿って並べようというものだ。今回は、研究会の趣旨に内容を寄せた上で、特に内容的なつながりの強い論考の執筆者に発表していただく運びとなった。
批評同人という「地味な」言語化を進めると、しばしば、自己満足や気合のような精神論に陥る。しかし、本誌は、一定の部数と売り上げを確保することで、言葉を届ける姿勢を持っており、一個人として共感を抱く。発表内容だけなく、そうした言論実践についても掘り下げたいと考えている。(文:谷川嘉浩)
午後の発表「教育学部と戦後社会学 ~加藤秀俊の教育学構想へ」
周知のように、日本における「教育学部」の設置は、1949年におけるものである。それは、単なる体制転換というばかりでなく、「教育学」という思想の転換でもあった。
その流れの一つに、京都大学教育学部もいたことは言うに及ばない。戦後教育政策、そして民主主義教育の系譜を構築した東京大学とは異なり、京都大学教育学部は独自の路線を歩んでいた。その代表的な事例として、加藤秀俊の存在が挙げられる。加藤秀俊は、人文科学研究所に所属しながらも、教育学部で「マスコミュニケーションの理論」(教育社会学講座1960年・1961年)などの科目を開講した。そして、1968年度には、比較教育学の助教授として赴任することになる。その間に、加藤秀俊は『人間開発』をはじめ、独自の教育学の構想へと向かっていった。だがその構想も、学生運動によって挫折させられることとなる。
本発表は、この加藤秀俊の「未完の教育学構想」について、特に加藤英俊の『人間関係』『人間開発』『独学のすすめ』等の「学び」(learining)に関するテクスト群の解釈から再構築しなおすことを目指す。その再構築の方向性とは、竹内洋が加藤社会学を「日本型カルチュラル・スタディーズ」と呼んだことに呼応した、「日本型学習科学」の構想である。
発表者:
中村徳仁・吉村雄太・二階堂滉 批評誌『夜航』メンバー (Twitter)
高田正哉 上田女子短期大学講師 researchmap
第二回研究会を終えて
まず何より合評会の機会を与えて頂いた新京都学派研究会の方々に感謝いたします。
そもそも本研究会の主軸テーマである「言葉と教育」が、京都学派という大正教養主義ないしはエリート主義的色彩の強い思想家たちと相性の良いものかはじめは疑問に思っていました。
しかし、私が発表冒頭でも示唆したように、京都学派の思想家たちは新中間層の台頭に伴う消費社会、そして出版市場の拡大に端を発するプレ情報社会、この2つの新現象の到来を目の当たりにしたはじめの世代だったと言うことができるのではないでしょうか。そのような補助線を引くと、彼らの言葉遣いは多少古めかしいとはいえ、取り組んでいた課題自体はそれほど私たちと縁遠くはないと思います。
そうした確信は、吉村氏と二階堂氏の問題提起が参加者たちの活発な議論を刺激したことから得られました。
しかし、京都学派のやろうとしたことが時間の経過と研究の複雑化と共に見えにくくなってしまっていることは確かです。つまり、現代の問題と彼らの議論を合わせるためには、吉村氏や二階堂氏が発表内でしていたような「現代語訳」がある程度は必要なのかもしれません。このような気づきが得られたのは新京都学派との比較を経たからです。
こうした機会を通じて、京都学派と新京都学派、哲学と教育、理論と実践、アカデミズムとジャーナリズムなどのさまざまな「棲み分け」が解消されていくことを目指したいと思います。
2018/8/10
中村徳仁
*
おかげさまで、多くの方に参加していただき、午前・午後ともに盛会となりました。全てに言及することができないほど多岐にわたる話題だったので、私が個人的に印象に残った話題に、私個人の偏見を交えながら、触れておきたいと思います。
吉村さんによる発表は、和辻哲郎のペルソナ概念を生命倫理に応用するという論点です。この論点は、森岡正博さんが発展させていることでもあるので、ご関心のある向きは、この辺りやこの辺りをご覧ください。風土論と言語論との関係などは、とても面白い論点でした。とはいえ、和辻の議論は、抑圧的な共同体運命論を容易に帰結させかねない側面があり、過去の遺産のどの点を引き継ぎ、批判していくかということを問われるように思われます。すなわち、「目利き」としての研究、これは、この研究会全体にも該当する課題でもありました。
二階堂さんの偶然文学論争と九鬼周造に関する論点で私が印象に残ったのは、冷静に考えれば全くの偶然でしかないものが、そうであるがゆえに運命的に感じられてしまうという論点でした。そして、個人が否応なく生涯向き合わざるをえない、その後の人生をかけて付き合っていくような決定的な経験としての偶然。自己と向き合い、それを言語化していくというとき、「ずっと引っ掛かってしまう出来事」という視点が大切になるような気がします。どうにもこうにも、見捨てられない過去という視点です。
また、前半で大活躍だったのは、やはり批評誌『夜航』の中村さんでした。言論を流通させるというとき、文章を生み出す「書き手」と、それを受け取る「読み手」ばかりに焦点が当たっているように思われます。しかし、彼の発表からは、流通のリテラシーのようなものが読み取れました。私なりの表現を使えば、共同体を作り出すような仕方で、言葉を生み出し、届けていくという姿勢です(余談ですが、これはジョン・デューイ的な言語論でもあります)。恐らく、言葉を考えるあたり、言葉だけを考えていてはいけないのでしょう。
後半は、前回に引き続き、研究会共同主宰者の高田正哉さんにご発表いただきました。中心的に扱ったのは、加藤秀俊、特に京大時代の彼の思想です。研究的な姿勢の中にある「学び」の姿勢を遊びの問題と捉えるという加藤の基本姿勢から帰結するのは、「夢中になって遊ぶ」ことだけでなく、「〈夢中になった遊び〉を夢中になって遊ぶ」(=遊びについて研究する)という、「二階の(second-order)遊び」という論点でした。
実際にはさらに多様な論点があったのですが、こうした加藤秀俊の教育論を「日本型カルチュラル・スタディーズ」ならぬ「日本型学習科学」として定式化しようという議論へ進んでいきました。
そこで思い出されるのは、吉見俊哉さんの『カルチュラル・スタディーズ』(岩波書店)です。この本の冒頭で、吉見さんは鶴見俊輔の権田保之助(民衆娯楽研究者)への言及に注目し、民衆の娯楽や生活の楽しみを読み解いていく鶴見の身振りに「日本型カルチュラル・スタディーズ」の可能性を見ていました。
鶴見から「日本型カルスタ」を引き出しえたとしても、恐らく、加藤秀俊とは毛色の違ったものになったことでしょう。というのも、『たまたま、この世界に生まれて』(編集グループSURE)で鶴見自身が語る通り、彼は体系的に教えること、やり方を伝えることに消極的だったからです(これには擁護可能な、彼なりの理由があるとはいえ)。これは、加藤自身がコミットしていた「探求の技法」――第一回研究会のキーワードの一つでした――の追求とは好対照を成していると思われます。あるいは、中公新書を中心に流行していた「知的技法」や「ハウツー本」とも。
何かを書く、伝える、読む、聞くというとき、そうできるようになるための手がかりを「新京都学派」の思想家たちがどのように用意していたのかを、様々な観点や水準から、今後も考察したいと思います。
加藤が描いた理想的な「独学」と頽落した独学の違いなど、魅力的な論点は色々ありましたが、以上に留めておきたいと思います。ただ一点言えるとすれば、私たちがこの研究会でしているのは、「共同的な二階の遊び」だということでしょうか。
次回は、鶴見俊輔と作田啓一についての発表です。お楽しみに。
2018/8/12
谷川嘉浩
第一回研究会の概要
開催日:2018年4月22日(日)
場所:京都大学吉田泉殿(入り口は西側でした)
参加人数:午前17人、午後8人
タイムテーブル:
① 10:00~12:00
② 13:00~15:00
発表概要:
午前の発表「ヒューマン・ネイチャー・ライティング」
パブリック・スピーキングという考え方が西洋にはある。自己の経験や意見を、適切に言語化し、他者に伝え、説得することを目的としている。公共領域にひとかどの市民として立つためのアートであり、「ちゃんとした」政治参加をするための教育である。それをどう呼ぶかは別にして、類似の試みは、西洋に於いて、伝統的に存在していた。
とはいえ、日本の知的営みを振り返ると、類似する思想/実践を展開した人びとがいることに気づく。ここで念頭に置いているのは、戦後、人文研など京都を中心に活動した知識人たちである(新京都学派)。本発表は、鶴見俊輔を例に、適切な言語化をめぐる議論を探索するとともに、それを位置づけるものである。その際、政治学/社会心理学の古典を補助線にする。
Keywords:人間本性、ネイチャー・ライティング、パブリック・スピーキング、生活記録、(反)知性主義
午後の発表「民主主義のために知識人は何をすべきか?」
21世紀に入り、世界の人文社会科学は危機を迎えている。
私はその問いを否と考える。日本にも、
Keywords:有機的公共知識人、ローカル、アイデンティティ、言語
発表者:
谷川嘉浩 京都大学人間・環境学研究科博士後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC2) researchmap Twitter: @mircea_morning
高田正哉 上田女子短期大学講師 researchmap
第一回研究会を終えて
偉い人は言いました、「二兎を追う者は一兎をも得ず」と。私の発表はごった煮的であり、まさにこの通り。しかし、参加者のみなさんの粘り強い質問によって、いくつかの論点が明確化されるとともに、重要な宿題をいただいた思いです。
また、谷川/高田による研究会の方針のたたき台となるようなものを提出するという「大きな話」が具体的なヴィジョンに変えることができたのは、鋭い指摘、思いもしない視点、絶妙な整理、素朴な質問など、参加者のみなさんとの会話のおかげでした。
改善すべきだと私個人が深く感じたのは、「わかりやすさ」でした。もっとわかりやすいように提示しなければ、少なくとも、意欲ある学部生がついていきたいと思えるようなスタイルで書かなければと思いました。
そう感じたのは、ありがたいことに、この場に来てくださった方々が様々なバックグラウンドを持っていたからです。
教育系NPOの学生、タウン誌の編集者、同人活動をする学生、教育系大学の教員、観光学系の教員、哲学の院生、教育学の院生、一般の方など非常に属性の多様な現場でした。全ての方とお話できなかったのが惜しかったです。
研究会では、いくつも重要な論点が出ました。その一つが、公的/私的ということをどのように考えるのかというものです。
これをいくつかの観点から整理しておきたいと思います。旧来の、私たちが批判していこうとする発想は以下のような対が前提にされているはずです。
公的言説―インテリ―知性主義―お上品―理論信仰―マイノリティ
私的情念――大衆―反知性主義―不適切―実感信仰―マジョリティ
他にも色々な対が出てきましたが、ひとまずはこんなところでしょうか。
私たちは、こうした素朴な二項対立のどちらにも加担せずに、あいだでなんとかやりくりしたいという見解で一致しました。とはいえ、コミュニティ作りのために、兎にも角にも「動員」することには、違和感を示しました。単なる素朴なコミュニティ参加論やコミュニタリアニズムを反復するのでない方向を進んでみたい。
その代案につけられた名前が、「ヒューマン・ネイチャー・ライティング」「実感を超えていく実感主義」(谷川)であり、「ローカリティ」「有機的公共知識人」(高田)でした。
トランプ現象のような、現代の社会現象を念頭に置きながらも(マクロな視点)、私たちは、「情念」に代表される人間の非合理性を、「言葉」にしていくという教育的な含意を下から組み立てていくツールを作るべきなのかもしれません(ミクロな視点)。
*
私たちが事前に用意した視点だけでなく、会話をする中で、議論以前のプライベートな「信頼関係」や、外集団には不可解に思われるだろうことの「翻訳」というキーワードが出たのがとても印象的でした。それを提示したのは自分自身なのですが、会場で具体的な問いを投げられたからこそ出てきたことです。
発表メンバーの須永哲思からは、『山びこ学校』が商業出版されたときに落ちたコメントや添削に関する話がありました。それは、何が公的に流通すべきかという「言説の資源」の壁を示しているとともに、(広い意味での)教育がうまく働くのに必要だったローカルな文脈や関係性のことを思い出させてくれるものでした。
公的な言説に乗らない情念をやりくり(情念のマネジメント)するときの一つのポイントが、「経験を書く」ということでした。ここで、私たちの研究会の名前、「言葉と教育」が登場するわけです。高田発表では、その点を受けて、「知識人とは何か」「知識人と呼んでいいのか」「探求の技法」「ビジネス書との距離感」「外化/記録/共有」「サークル/共同研究」「パブリック・スピーキング」など様々な視点が話題に登りました。
ここでは、C.W.ミルズの「知的クラフツマンシップ論」のIBMカード論に加えて、カルチュラル・スタディーズ、そして、読書猿さんの『アイデア大全』が話題になりました。昔から現代まで、アメリカや日本からイギリスまで、縦横無尽の話題展開だったことが印象的です。
私がとりわけ興味深く感じたのは、「反省的であることのしんどさ・面倒くささ」という論点でした。発表メンバーである真鍋公希の指摘でした。しばしば、研究者は問いをオープンエンドにして研究を終えてしまいます。いや、称揚しさえします(鶴見がそれを好意的に「哲学者の問い」と呼んだように)。
「私たちは、これを問い直し続けなければ」というわけです。この身振りは、固定的な答えの放棄でもあるので、ある種の人には、無責任や怠慢に映るでしょう。とはいえ、何かを反省し、問い直し続けることは、答えを出さないことと同じなのでしょうか。私たちが、一方で問いの継続を掲げるとき、他方で何を結論づけているのでしょうか。
真鍋は、これまでの議論を受けて、いわく言いがたいものを「言葉」にしていく知識人の路線として、1.時代診断的な治療と2.哲学者的な問いの継続という2つの系統があるのではないかと整理しました。
前者は浅薄な評論に陥りかねないのに対して、後者は、悩み続けねばならないことのしんどさ・面倒くささを抱え込んでいます。でも、こうした二者択一を迫られるとき、私たちは一方だけを選んではならないことを知っています。
恐らく、両者は相互補完的なのでしょう。その都度の暫定解を手にしながら、一方では、「それは間違っているかもしれない」と問いを継続していく。これが基本的な視点であるべきなのでしょう。
それだけなく、この「しんどさ」の自覚に立ってこそ、新京都学派による知的技法への注目が活きてくるような気がします。技法や道具は、反省性があるかどうかよりも、兎に角うまく機能する(work)ことが重要だからです。
以上は、研究会での会話や発表の要約ではありません。ほんの、ごく一部です。私の関心に従って、私の言葉と視点でまとめられたものです。
なぜ録音しておかなかったのかと自分を叱りたい気分です……。今後の研究会では、「記録」をしっかり進めたいと思います。
今回はあまり「新京都学派」感がありませんでしたが、次回以降、具体的な話が提出されるはずです。完成しきったものを提示するというより、今回のように会話の中で、共同で布を織り上げるように、私たちの議論を作っていけたらと考えています。
2018/4/22
谷川嘉浩
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